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第10回 「古本屋雑感」 十三年間のサラリーマン生活をやめて、あこがれの古本屋になって一年あまり。 なんとかかんとかやってきて、最近“古書目録”なるものを一人前に発行してみました。 五百部を印刷して日本全国のあちこちに、それこそ大海に小石を投げるがごとく送ってみました。 結果は意外と地元ではなくて、函館、神戸、広島など思いがけない所からの御注文をいただきうれしくもあり、 又、少し複雑な気持ちになっています。 神田の大手の古本屋さん、札幌の有力なお店の目録にも載らないような地味な地元の本が、資料として注目されたようです。 関西のある食品会社の資料室からも、一括でかなりの農業・水産関係の本の注文をいただいたりもしました。 釧路もこの一、二年、古本屋の活動が活発になってきて、 量だけは他都市に負けないくらい供給されるようになっているようです。 今までは古本屋に足を向ける事もなかった女性層も、少しずつ御来店いただけるようになってきました。 これからは各店がそれぞれに個性的な品ぞろえ、特徴のある店づくりをしていけば、きっと面白い状況が生れると思います。 出来れば何軒かが一ヵ所に集まり、「古書の町」 「古本屋通り」でも出来れば最高なのですが…。 これは夢です。 私もその一環として古書目録の発行を準備しておりました。 まだ時どき注文も入ったりもしますが、発送も大体終りほっと一息ついている所です。 正直言っての感想は、こんな面倒で、手間のかかる仕事はしばらくやらないぞというのが本音です。 しかし、お手紙や電話で「次回の目録発行はいつですか」、 「次回はこのような分野も楽しみにしています」なんて言われますと、ヤバイ、これはエライ事になってしまった。 後には引けないぞ、でもうれしいなどと、もう目茶めちゃです。 開店して日も浅く、たいして本もないのにあせるばかりです。 本州方面の同業の方がたからの注文も結構ありました。 釧路はまだ古書に関しては未開の地で、何が出てくるか分からないというような期待感もあるようです。 目録を出してみて気がついた事がもう一つあります。 それは活字の魔力です。 いつも御来店されているお客様から、電話で息セキ切って注文が入りその本を見ますと 店頭でいつも御覧になっていた本ばかりなのです。 「それはあの時の本ですよ、この本ですよ」と言いますと 「いやそれでもいい。絶対取っておいてくれ」との事です。 本(出版物と言い直しますか)そのものは貧相で背文字もなく 長い年月で汚れて目立たない(例えばガリ版刷り)ものでも、 活字になってきちんと整理されると急に立派になってくるのです。 それで何十年も忘れられて捨てられたり、燃やされたりする寸前のものが資料として息を吹き返し、 立派に津軽海峡を渡って行きました。 かわいい息子を旅に出すような心境でした、本当に。 出来れば地元の方の書棚に納まってそれぞれに活用されてほしいとは思っても仕方がありません。 古本屋さんといってもピンからキリまであり、最近では、あの七千五百万円の「土佐日記」で有名な、 東京の反町弘文荘のようなお店もありますが、全国のほとんどの古本屋は毎日コツコツやっている店ばかりなのです。 いつもお客さまに「好きな本に囲まれてていいね」とか、「好きな仕事をやれていいな」とか言われますがとんでもない。 見かけとは違って非常にハードで体力も必要とし、ゆっくり本を読む暇などほとんどありません。 でも何年もさがしていた本を当店の棚で見つけられ、小躍りして喜んで買っていかれるお客様をみると、 本当にこの商売をやってよかったと思います。 古本屋は売れたからといってすぐ追加できるような問屋さんもありませんし、 又、売れないから返品するわけにもいかないのです。 一冊いっさつが真剣勝負なのです。 本を求めて全国を旅した時もいい町には必ずりっぱな図書館、新刊屋さん、 それに地元にガッチリ根をおろした古本屋があります。 釧路も最近名物が増え、郷土博物館、湿原展望台、石川啄木の歌留多で有名な本行寺には 全国からお客様がいらしているようですが、釧路の古本屋ももっと勉強して力をつけ、 全国からお客様を集める位にしたいと考えています。 (「釧路新聞」 昭和59年5月28日 (月曜日) 5面 より再録) 第9回 「時代遅れの古本屋」 『立ち読みは御遠慮ください』。 毎日、数回はこの台詞を言わなければならない。テープに録音したい位である。 開業以来、十四年間ずっと言い続けて来ました。 しかし、最近あるお客さんから、 『えっ、立ち読みは駄目なの?今度できた△×では、何時間、何冊でも、OKだよ、 おじさん遅れてるう〜〜』……。 そんな事は、そのお店のチラシ等で前から知っています。 私の店だって、本を選ぶための、ある程度の立ち読みは、当然認めております。 しかし、度を越した立ち読みは、他のお客様への迷惑になるし、買ってくれた方にも申し訳がない。 商売の邪魔になると判断したからそのようなルールが何となく全国的に出来ていたのだと思います。 立ち読みは本当にサービスなのか、考え込んでしまいます。 世の中、ルールなき戦い、規制緩和、何だかよく解りません。 立ち読みの注意が嫌で、マンガは勿論、文庫本、他、全部ビニールパックして話題になった古本屋がありました。 その後、どうなったのだろうか、気持ちはよく理解出来ます。 又、入場料を取って、お買い上げになったお客様には返すことにした店もありました。 世の中、インターネットだ、やれ携帯電話だなんて言ってますけど、 本当にこの後どんな具合になって行くのでしょうか。 気がついたら「時代遅れ」にされていますよ。 お酒屋さん、米屋さんがそうでした。 どんどん、コンビニ、又コンビニ風になって行きました。 私も古本屋は元々時代遅れの商売と思っていて、時にはそれを売り物の一つにしていたように思います。 こうなったら腹を決め、もっともっと時代遅れになってやろうかなんて考えています。 でも、所謂、ニューモラルの店が出来てきて、確実に状況は変ってきています。 面倒臭い規制やルールがあり、おまけに駐車場もほとんどなく、営業時間も短いとあればもう駄目です。 かすかにおられる本好きのお客さんを相手に細々と営業、これが全国の地方の古本屋の大方の実態でしょう。 生活は決して楽ではないけれど、好きな事をやっていられる。それだけです。 ふと気がつくと目の前のマンガの棚の前に立ち読みの子供がいます。 面白い場面になると思わず笑っています。夢中になっています。 どうしようかな、注意しようかな。 半分位読んでいい所でやめてね。気が弱い私です。 (「釧路春秋」 37号 1996.11 秋季号より再録) 第8回 「古本屋と親の教育」 古本屋を十年以上やってきて、最近、私にとっては大変ショッキングな事がありました。 この仕事は私が好きで好きで始めた仕事でありましたが、 この時ばかりは世の中には全く違う人達がいると、つくづく思いました。 家族4人の一団が入ってきました。 さんざん、あっちこっちいじりまわし(私にはそう見えたのです)、子供は店内を走り出す。 親達はそんな事にはお構いなく、注意ひとつしようとしないで、立ち見、立ち読みの自分の世界。 そんな状態で数十分の後、母親が、「ここには何もないから、じゃあ、みんな、帰るわよ」の一言。 そんな事位なら大して珍しい事ではないのですが、その後の一言、これは脳天にガーンと利きました。 「○○ちゃん、マンガはもうやめなさい。古本だからバイ菌がいっぱいついているわよ。 後で○○で新しいの買ってあげますから」…。 さすがの自称・温厚な私も頭にきました。 じゃあ、この俺は、バイ菌の親玉か元締めかい。 しかし馬鹿らしくて、呆れて何も言えませんでした。言いたい事は山ほどあったけど。 この御一行が帰った後は、棚はぐしゃぐしゃ床には本が落ちている、ひどいものです。 でも、しばらくたってから思いました。 この親達はもうイイとして、子供達は一体この後どうなって行くのかという事です。 政治がどうの、教育がどうの、日教組がどうの、全く関係ありません。 古本に限らず、とかく今の世の中には、「古」とか「老」を粗末にしていると思います。 古い物、老いた者は邪魔、汚い、そんな思想、偏見があちこちに見られます。 普段は綺麗事で、「物を大切にしましょう」、「お年寄りを大切にしましょう」なんて言っておりますが、 何かの拍子に、本心、本音が出てくるのでしょう。 これからは、もっともっとすごい人達が沢山出てくるでしょう。 でもそんな人達ばかりではないでしょう。 私も負けないように、頭を切り替え、気持ちも切り替え、「さあ、今日も頑張るぞー」。 (「釧路春秋」 35号 1995.11 秋季号より再録) 第7回 「古本屋と屋号」 ○○書店、○×書房、古書○△、××書院等、古本屋には一般的にこのような屋号が多く、私の店も御多分に漏れず、○○書店です。 開店時の思い入れや、夢、こだわりがそこににじみ出ているものも結構あり、文学同人誌の誌名や、一昔前の喫茶店に似ているものもあります。 手元に 『全国古書籍商組合連合会会員名簿、1995年度版』がありますので、ほんの一部ですが紹介してみましょう。 『ブックス宝島』、『薫風書林』、『ケルン書房』、『リブロ平岸』、『亜本屋』、以上札幌。 『夢書房』は小樽。『ひとつむぎ書房』は旭川。 名寄には『大将堂』と、何だか昔のガキ大将がやっているような元気のイイお店もあります。 東北仙台には『ぼおぶら屋古書店』、『芭蕉の辻書店』、『古本屋三十五反』と、のどかな雰囲気です。 東京には『自游書院』、『アムールショップ』、『かんたんむ』、『旅人社』、『千年堂』、『民衆文庫』、『さわやか文庫』、 『りりぱっと文庫』、『光古書研究所』、『古本屋バンビ』、『本・あごら』、『古書自然林』、『ともしび堂』、 『なないろ文庫ふしぎ堂』、『古本のとんぼや』、『おもしろ文庫』……。 いやもう疲れました。神田には歴史に残るような有名な店がありますが、それ以外にも、店構えは小さくても、精一杯ガンバっている店が沢山あります。 特に最近の傾向としては、漫画・コミックの専門店が力をつけて来て、屋号にもそれらしく、面白いものがあります。 『ドン・コミック』、『まんが市文化堂』、『まんだらけ』、『ゴリラブックス』、『3軒茶屋の2階のマンガ屋』。 どうですか、パンチがあるでしょう? 私が好きな屋号は、旭川の『青春文教堂』さん。 青春というのが何だか古本と合うような気がします(古いのかな?)。 それと福島県の郡山駅前にある『古書てんとうふ』さん。 “てんとうふ”とは、明治の時代に夕方になるとガス燈に火をいれて歩いた“点灯夫”さんの事らしいのです。 文化的な感じがあって特に好きな屋号の一つです。 数年前には、釧路での同業の大市(セリ)にも来てくれました。 釧路にも点灯夫が来て、古書・古本文化に火をつけてくれたような気がしています。 私の店の平凡な屋号も変えて出直してみるかな? 青春文教堂さんのように 『老練豊文堂』、『色男豊文堂』……。 何かイイのないですか? 『そんな事考える前に、もっと気の利いた本捜して来い』のお客さんの声が聞こえてきます。 (「釧路春秋」 36号 1996.5 春季号より再録) 第6回 「古本屋と老人問題」 古本屋には新刊の書店さんと違って、問屋、取次のようなものはありませんので、 時にはお客様のお宅まで直接伺って御蔵書を見せていただき売っていただく事があります。 一人のお客様のお宅に、5回も6回も呼ばれて本を買った事がありました。 後で良く考えてみると一回で軽く済んでしまうような量なのですが…。 そのお客様は本を買いに来いと言って、実は私と話をするのが本当の目的だったのではと今では思っています。 三十分の予定が二時間、三時間、五時間、昼食をいただき、テレビを一緒に観て、お茶も何回も出していただき、 最後には『風呂を沸かすから入っていかないかい』と言われました。 子供達もとっくに独立し、奥様にも先立たれ、本当に淋しかったのだと思います。 自慢の子供達の話も段々愚痴になってきました。 こちらは、すぐ終わると思って店を途中で閉めて来ていますので、一分でも早く戻り、 開けないと折角来てくれた方に申し訳ない。 “怒られる”その一心で気が気でないのですが…。 話は軍隊生活の話、政治の話、町内会、そして最近の芸能界まで行きました。 本に関する話はほとんどなく買った値段にも何もいいませんでした。 その時から一年近く過ぎたある日の朝、朝刊を見ると、そのお客様の死亡広告がひっそりと出ていました。 自慢の息子の名前もあります。 私は何となく暗く悲しい気持ちになり、何回かお伺いしていろいろお話をしたあの時々を改めて思い出していました。 私にとっては只の仕入れの時間ですが、その方にとってはとっても貴重な時間だったのかもしれません。 仕事を通して見た世の現実の姿でした。 夢のような話ですが、こんな事を考えています。古本屋兼老人ホームなのです。 気心の知れた本好きが集まり、アマチュア、プロは関係ありません。 店番をする者、パソコンが得意な人は目録作りとデータ整理、力にまだ自信がある者は、百貨店やスーパー等での古本即売会、 その他、仕入れに行く者、本を拭く人、さまざまです。勿論、少しは給料も出ます。 夜は備え付けの温泉に入って、これ又、本の話や世間話。 店にある本は自由に読める。 孤独に一人でいるよりはずっとイイと思います。 店(ホーム)に入るのも出るのも自由。 そんな事出来ないかと馬鹿な事を考えているこの頃の私です。 (「釧路春秋」 34号 1995.5 春季号より再録) 第5回 「一冊五十円、三冊百円」 私は古本屋です。毎日、毎日古本屋でもう十二年もやっています。 私の店の外には粗末な小棚と台に置かれた小箱があります。 つぶれた炉端から貰った縁台と、これ又、その昔豆腐屋だった大家さんから頂いた豆腐用の木箱です。 この均一本コーナーは開店以来ずっと、一冊五十円三冊百円です。 カバーがない文庫本を中心に、ちょっと過ぎたベストセラー、汚れて痛んだもの、 スーパーやデパートでの古本市に何回も出して売れ残り、遂に、ここにたどりついたもの、 本を売りにきたお客様が、引取ってもらえなくて、仕方なく置いていったもの等、 様々な運命の本がひっそりと並んでいます。 一歩、店に入ると、もっと体裁の良い本、高価な文学書、全集、資料本等沢山ありますが、 それにも増して、外の均一本コーナーには数々のドラマがあるのです。 その一、ほとんど毎日、均一台を覗く学校の先生と思われる方、 岩波文庫に異常な関心があり、ある時には、「こんなイイ本はここに置いてはいけない。 店の中に並べてくれ」と抗議して来ました。 その二、年金生活のおばあちゃんで、小銭を固く握りしめてやって来ます。 長い時間をかけて三冊選び、嬉しそうにレジに差し出します。 大抵は五十円玉と十円玉です。体温で熱くなっている時もあります。 時代小説が好きらしく、適当なものがないと、悲しそうに肩を落として帰られますので、 それらしき本がなくなると、きちんと補充しなくてはいけません。 いつか話をする機会がありました。その時には、「私が読んでから、次に入院しているおじいちゃんが読む。 最後は町内会の老人クラブに寄附するよ」と言ってました。 そのおばあちゃんも半年位、姿が見えなくて、つい最近、店の前を掃除していて久し振りに会いました。 おじいちゃんが亡くなって、御自身も、白内障がひどく、 「今度、手術をして良くなったら、又、通うから。保険が利くようになったので 思い切ってやるよ」と元気よくおっしゃいました。 早く良くなって、又来て下さい。 その三、天候が急変し、雨が降り出しました。 「外の本みんな濡れるよ」と入り口のドアを開けて、通りがかりの人が教えてくれます。 ぼやっとしていて、雨で全部駄目にした事が何回もありました。 いくら均一台の本といえども、濡れた本をゴミとして、紙として処分するのは、余りイイ気分ではありません。 その四、店の中では、何度も場所を変えたり、安くしても何年も売れない本が外に出したら、 数時間で売れてしまう時があります。そんな時は損をしたというよりもほっとします。 あるお客さんが言いました。「外の本は敗者復活戦だね」。 本当にそう思います。ここで売れて行く本は幸せです。 均一本、特価本、最終処分本といっても、この売上で、店の電気代、時には、電話代まで出てしまいます。馬鹿には出来ません。 物が大量に消費され、捨てられていく今の世の中ですが、そうでない世界も少しはあるのです。うれしい事です。 今日も又、朝一番に、外に棚と箱を出します。 女房が作ってくれた専用の看板もつけます。 いつものおじさんがもう来ています。 保険のおばちゃんは今日は寄らないで忙しそうに通り過ぎて行きました。 公立大のお兄ちゃんは昼から来るかな?天気は大丈夫かな? 今日も、又、始まりました。 (「釧路春秋」 32号 1994.5 春季号より再録) 第4回 「東蝦夷通信」 又、鉄道線路が消えた(2月1日広尾線廃止)。 現在の北海道の鉄道網は大正時代に戻りつつある。そして、町が、人が取り残されていきます。 そんな過疎の町の小さなお店から古本市をやってくれと電話が入ります。 それでは「行って来るべか」と愛車のハイエースにダンボール箱につめた本を積めるだけ積み、手製の看板も忘れず持って出発します。 途中、牛や馬がのんびりと草を食べている原野や、白鳥が群れている湖など四季それぞれの景色を見ながら時には片道250kmも走ります。 運転に飽きると釣りをしたり、写真を撮ったりのんきなものです。 鹿と衝突しそうになったり、大雨の中、道路を横断する蛙の大群にぶつかったりする事もありました。 約束の時間に到着すると、早速、店の軒下や、催事場に本を拡げます。 ぽつりぽつりと子供や、お年寄りが集って来ます。 この町には古本屋は勿論、新刊屋さんもないのです。 「この前来た時注文された『家庭の医学』、『時代物の小説』、『数学の参考書』持って来ましたよ」 「今度いつ来るの?」 「雪の降る前頃に又来ます」。 こんな事が昨年は何回もありました。 まるで富山の薬売りか縁日の露天商のおじさんのようです。 五年前に開店して、田舎の古本屋だけど、古書目録も年に数回発行、東京や札幌にも二月に一回位は出掛けて しっかり勉強して黒っぽい本が少しはある店にするんだ……。 この「目標」は一体どこに行ったのでしょう。 昨年は遂に目録は発行出来ませんでした。 店売り、目録・催事、欲張り過ぎました。 しかし私には段々、寂しくなっていく町や村を忘れる事が出来ないようです。 コミック、文庫、料理や編物の本、喜んで買ってもらえます。 すっかり催事専門の古本屋になってしまいました。 良いのか、悪いのか、どうしてこうなってしまったのか、自分には良く分りません。 しかし、そこに町があって、人がいて、本をほしがっているのは確かです。 待っていてくれるのです。 今年も「来てほしい」と電話が入って来ています。 国鉄マンの息子として育ち、十三年間のサラリーマン生活を経て古本屋になった私が、 鉄路や駅のなくなった町やこれからなくなろうとしている町に古本を持って行く、何か複雑な気持です。 そんな訳で、次回の当店の目録は「鉄道特集」を中心としたものを作る予定です。 鉄道と北海道の開拓、生活がテーマです。 ボロクソに言われて国鉄が解体して行くこの時期に何かの因縁でしょう。 国鉄マンとして一生懸命働いてきた親父の無念さを晴らすため、 そしてこれ以上、鉄道・駅をなくさないためにも意義のある目録にしようと思っています。 この拙文が掲載される頃、雪のちらほら残る原野や山を見ながら、どこかの町に向かって走っている事と思います。 (「彷書月刊」 1987年4月号 特集・古本屋 所収 「東蝦夷通信」 より再録) 第3回 「石川啄木」 馬鈴薯の花咲く頃と なれにけり 君もこの花を好きたまふらむ この歌で思い出されるのは子供の頃、近所の悪ガキ連と海や川に遊びに行った事である。 今はなくなったトンケシの浜や新川(今の釧路川)の河口で釣りをしたり、 ザルや手ぬぐいで小魚を獲ったり、水のかけっこをしたりして昼になると、 それぞれが家から持って来たおこげがほとんどのにぎりめしを食べた。 それでも足りなくて、近くの畑から馬鈴薯、大根、人参、キュウリなどを失敬してきて食べたものだ。 悪い事だとは知りながら……。 大根、人参、キュウリは生で食べたが、このいもだけは駄目で、たき火をして焼いて食べた。 啄木のすばらしい文学的な歌から、こんな不謹慎な事を思い出している自分が恥ずかしいが事実だからどうしようもない。 古本屋という立場でこれまで啄木の本に接してきたが、本の数の多いのにはあきれるばかりです。 子供の本、文庫本、研究書等、戦前、戦後を通じて、いつの時代にも啄木のファンはいたようです。 今、手元に昭和十三年に出版された「長篇小説 石川啄木、戦時体制版」があります。 満州、朝鮮、台湾、樺太の外地定価八十三銭、二万部発行とあります。 その当時外地にいた人は、どんな思いでこの本を手に取ったのでしょう。 私も何かの縁で古本屋になり、啄木の本を通じていろいろな方とも親しくなり、 これも啄木のおかげだと思っております。 これからもずっと啄木の本を通じていろいろなドラマが展開されていくと考えます。 (くしろ啄木百年記念の会・編/発行 『釧路の啄木』(昭和61年11月10日 初版) 所収 「くしろ啄木一人百首随想集」 より再録) 第2回 「古本屋の親父」 「古本屋の親父」と「古書店店主」、どっちがイイ?良く聞かれます。 「酒屋の親父」と「リカーショップの社長さん」のようなもので実体に大した差はありません。 ただ何となくイメージが違うのです。 このイメージとやらが大変な曲者で、商売のうまい人は上手に使い分けているのだと思います。 昔からのカビ臭く、暗く妖しい店が秘境に入った探検隊のように、 「何かある、きっと何かある」と予感させてくれて好きだという方もおられます。 それとは逆に近年の全国的傾向ですが、店内は明るくコンビニ風、駐車場も広くあり、 値段も解りやすく大体半額、レジもあり店員さんは若く小ざっぱりしていて、 きちんとした接客用語で応対してくれる。 BGMもナウい曲を流してくれるのでこっちの方がいいという人が増えてきました。 今日も又、どちらかと言えばカビ臭く今風でない店への御出勤です。 時代は急速にいろいろ変ってきていますが、やっぱり私はこの店がとても好きです。 女房には怒られますが、自宅にいるよりもずっと落ち着くのです。 浮世を離れて別天地とはこの事かなと思った矢先、お客の一言、 「親父、この本少し安くならんかい」 (「釧路春秋」 33号 1994.11 秋季号より再録) 第1回 「古本屋とみかん箱」 伊予の○○みかん、有田の△×みかん、JA和歌山農協とか書いてある、ごく普通のどこにでもある『みかん箱』。 しかし、この箱のお陰で、全国の古本屋がどれだけ助かっている事か。特にマンガ・文庫・新書本などについては、 収納、運搬、経済性、どれをとってもこれ以上のものはないと思います。 ひと昔前迄は、布で作ったヒモを使ったりもしていましたが…。お客さんから本を買入れる場合でも、 電話で「みかん箱にしたら何箱位ですか?」なんて聞いてしまう時もある位です。 少なくとも私の店では一つの単位になっています。 たまねぎ箱、煙草の箱とか他にもいろいろありますが、大きからず、小さからず、やはり、みかん箱が一番です。 ほとんど只で手に入るし、店に置いてもその明るい色柄は何となく陰気な店内を変えてくれます。 使っているうちに、マジックインクでいろいろ書かれたり、ガムテープを貼られたり、段々汚れて痛んできます。 一つの箱で、一年近く繰り返し使ったものもありました。 そして最後の最後はゴミ箱として役目を終えるもの、資源ゴミとして解体され、回収されていくもの、本当に良く働いてくれました。 みかん箱となるダンボール原紙は、私達の釧路の製紙工場で生産されたものが多いと聞きました。 ちょっぴりうれしい気もします。 古本屋に限らず、引越し収納、その他、みかん箱にお世話になっている人は沢山いると思います。 私もこれからも、みかん箱を大切に、仲良く古本屋商売を続けて行くつもりです。 (「釧路春秋」 38号 1997.5 春季号より再録) |